印鑑のプレゼント

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今日わたしは10数年ぶりに女性へのプレゼントを買いに行った、女房に内緒で。それが誰にも言えないわたしだけの秘密の始まりだった。そしてそのプレゼントというのは、ふつうの人なら思わず首を傾げてしまうものなのだ。もし仮にクイズ形式にしたとしても、いくらヒントを与えても絶対に正解者は出ないだろう、それくらいの難問。あまりじらすのもなんだから、ここらで正解をお教えしよう。

わたしが女房以外の女性にプレゼントしようとしているもの、それはなんとハンコ、つまり印鑑なのである。

これがわたしが彼女(と敢えて言わせてもらおう)にあげるものとしてもっともふさわしいと考えに考えぬいたプレゼントなのだ。当然「なんでそんなものを…」とお思いの方が殆どだろうから、これからその顛末を語ろうと思う。わたしが彼女に印鑑をプレゼントしようと思うに至ったいきさつを語ってみよう。それを知ったらあなたもきっと、彼女にハンコを無性にプレゼントしたくなるに違いないだろうと確信する。

わたしが彼女と再会したのは、ちょうど1年前に開かれた高校の同級会の席だった。そう彼女はわたしの高校の同級生だったのだ。再会したのは20数年ぶりのことで、みんなすっかり見違えるほど変わってて、りっぱな熟年というのか中年のオジさんオバさんになっていた。

でも正直言うとわたしは彼女とはちょうど20年ぶりだったのだ。なぜかと言うと、わたしと彼女は予備校時代に同じ境遇同士だったからというか、何となく数ヶ月ほど付き合っていたことがあったのだ。笑顔がとびっきり可愛く、ちょっぴりオチャメ、それでいてあまりふざけたことを言うと、ビシッと切り返すような、凛としたところのある女の子だったのだ。

でもお互いに一応は浪人という身の上。授業が終わってからのデート(懐かしい言葉だ! )もせいぜい喫茶店でコーヒーを飲む程度で、時間も2時間とは取れない短いものがほとんどだった。しかし二人の会話の中身は濃密で、二人はいろいろな点で短いとはいえ、とても楽しい時間を過ごしていたのだ。

しかし好事魔多し。一点で価値観というか考え方が違っていた。それは何かと言うと、スポーツ観である。俺は(当時に返ってオレです)当時ラグビー部に所属しており、彼女は硬式テニス部。俺の価値観としては、「テニスなんて女のするもの!」という意識があって、今だったらセクハラとも言われかねない意識が完全にアタマを支配していた。それが少なくとも自分で一回でも体験したことのあるスポーツであるものなら、当然その価値観はガラリと変わってて、彼女をリスペクトしてていたはずなのに、当時の俺のアタマでは「テニスなんて! 」という考えが、圧倒的に支配していたのだった。さらに始末が悪いのは、彼女がかつてテニスでインターハイに出たことがあるというくらいのハイレベルにあったことなのだった。

このことはわたしも、それからずっとあとで痛感させられることになるのだが、当時のわたしには我慢ができなかった。「たかがテニスの部活のOGサポートで」デートが(しかし恥ずかしくなる言葉だ…)できなんて言うとは、信じられない! それが率直な感想だったのだ。結局そのことなんかがなんとなく引っかかって、気まずくなり、嫌いになったわけじゃないのに、二人は何となく会わなくなっていったのだ。

そして今回の再会。彼女と、なにかむなしくスッキリとしない別れをしてから20年、ようやくあの憧れの(だって手を握ったくらいだったのです)彼女に再会できたのだ。これが嬉しくないわけが無い! 今とは違いケータイも無く、イエ電だけなのでいっさい連絡もしたことはなかった。
で彼女がいま何を職業にしているかというと、それが中学校の(出身校じゃあないからね)教頭先生なのだ。

俺は若干ビビった。だって、給料だって聞いたら俺より高い、自宅は郊外にでっかい3階建てを持っている、ダンナはコンピュータメーカーの役員で、子どもはICUとくればもう何も返す言葉が見つからなかったというのが正直なところだった。

でも唯一言いたかったこと。それは俺も子どもが小学校に入ってからテニススクールに通い、すでにキャリアも8年になろうとしているということだった。そしてテニスがあんなにハードなものだったとは…。目からウロコでまったく新しい世界を知ったのだ。だからというわけではないが、彼女には昔の俺の暴言を純粋に謝りたかったのだ。

で話は大いに盛り上がり、その後もデートを重ねるようになったのは自然のなりゆきだった。(中年の恋なのかな?)彼女の話を聞くまでもなく、中学校の教頭という職が大変なことは知っていた。そして話を聞くうち、彼女の業務でムダともいえるが繁多でイヤなものが「ハンコ押し」なのだということをはからずも知った。その時、わたしはこれは「そのうちハンコをプレゼントしなくちゃなぁ」と強く思ったのだった。

そしてそれから数ヶ月。彼女の誕生日にわたしは迷わず「印鑑」をプレゼントに選んだ。可愛くてオチャメで生徒にも人気な彼女にふさわしいハンコを…。認印ではあるけれど「オリジナル」で、少し崩した「ひらがな」で、「おしゃれ」な「印鑑ケース」まで付けてのものだったのだ。もちろん学校使い専用なのでダンナにばれる心配は無い! 彼女が喜んだのなんの、見せたいくらいだった。
「わたしを分ってくれてる…」と。

それを渡した後、二人が腕を組んで秋の路地の暗闇に消えて行ったのは遅過ぎたとはいえ、ごく当然の成り行きであった…。

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